夢小説の魅力は何と言っても、自分の名前でストーリーを楽しめるところかな。好きな世界観を持つ小説や、興味津々のストーリーに自分の名前が出てくると、普段読む小説の何倍も何十倍もリアルに感じられる♪

選ぶ権利を考える

小説を読んでいると、思った以上に感情移入してしまい、物語に入り込んでしまうようなことが多々あります。そうなると、実生活において訳もなく悲しくなったり怒りっぽくなったり、ふわふわしたような不安定な気分になってしまいます。これはドラマや映画でも同じで、そういった特別な作品に出会うと、良くも悪くも多大な影響を受けると思うのです。
これは、若者や子供たちにも言えることであり、特に思春期前後の体と心がうまく噛み合わないような多感な時期の子供たちにとって、観るもの、聴くもの、触れるものというのはとても重要であり、大人たちが注意してみていなければならないのではないでしょうか。
何気なく流れるCMやキャッチコピーについてでさえ、ドキッとするような質問をされた経験がある人も多いと思います。誤魔化しがきくならまだいいのですが、それなりに理解できる年齢に達しているような子になると、つい言葉に詰まってしまい、なかなか答えられないというようなことも。
巷ではたくさんの痛ましい事件や事故があり、その傍らでは後世に語り継いでいきたいような尊い話もたくさんあります。ドラマや小説から学んでいけることもあれば、疑問を抱いてしまうような内容のものもあります。
常に私たちは選択の自由があり、年齢問わずその権利を与えられているのですから、正しい選択と冷静な判断が必要になってくるのかもしれません。

私の良作アニメ感

大人になっても楽しめる「漫画」というジャンル。子供だけが楽しむには勿体ない、贅沢だと思える良作が、世間には数多く存在しています。それはアニメにもいえることで、私も、頭がとても疲れた時には無性にアニメがみたくなってしまい、ついついレンタルショップでそのコーナーに足が向かってしまうのです。
そこには懐かしいようなものから最近流行りのものまで実にたくさんの作品があるもので、マニアではなくてもなんだかワクワクしてきます。個性的な作風のものから美しい描写のものまで様々です。
そこでふと、小さい頃よくテレビで見ていた児童文学を元にしたアニメのコーナーを見つけ、思わず足を止めてじっくりと見入ってしまいました。児童文学は何冊か読んだことがあり、中でもお気に入りの作品が何冊かありましたので、アニメ放送されたときは食い入るようにしてみた覚えがあります。小説の形で入ってくる感覚と、アニメという鮮やかな形で入ってくる感覚とを両方楽しめたのが児童文学です。
そういう意味でも思い出深いものがあり、またこうして目にすることが出来たことが単純に嬉しいと思えました。中には私の大好きな作品もしっかり揃えてありましたので、折を見て観ることができたらいいなと思っています。

香りの効果

人には、その人の香りというものがあると思います。香水であったりアロマであったり、洗剤の香りであったり、それは様々ですが、「この香りを嗅ぐとあの人を思い出す」という風に、香りには記憶と密接な関わりがあるようです。
このことを実感したのがつい先日のこと。知人に小説を貸していたのですが、戻ってきたその小説からふわりと漂った香りを嗅いだ瞬間、その友人の顔が思い浮かんだのです。友人宅では常日頃からよくアロマを焚いているのですが、その香りが移ったのでしょう。
調べてみると、やはり香りは脳に素早くダイレクトに届くらしく、認知症予防やペットの為のアロマというものもあるようです。特に、犬にアロマは効果的なんだとか。なんとなくびっくりするような、目から鱗のような。
普段あまり香りというものに興味を惹かれるようなことはなかったのですが、この事を知ってからは以前よりほんの少しアロマや香りに積極的に関わろうとするようになった気がします。
ホルモンバランスや、精神的な鎮静作用、美容など、特に女性には嬉しい効果がたくさん含まれるアロマの魅力にハマってしまうかもしれません。もう少し書籍などで知識を増やしてからもっとたくさんの香りに出会ってみたいと思っています。

筆記用具に思うこと

小学生の頃、筆入れの中味はHBの鉛筆と消しゴム。授業中の注意を削がれないように、低学年の頃はどれも柄の入らない地味な物を揃えるように言われていました。学年が上がるに連れて少しずつその中身も変化していき、鉛筆はシャーペンに、そしてボールペンになっていきました。その頃は小さなかわいらしいマスコット消しゴムも流行り、友達同士で交換して楽しんでいたことを覚えています。
このような文房具の類ともめっきり縁が薄くなってしまったこの頃の私ですが、本屋さんや文房具店にいく機会があるとなんとなく足を止めて見てしまいます。最近ではボールペン字も消せるようにできてあったり、半永久的に書くことが出来るペンまであるようですね。デザインも機能も、昔と比べるとレベルアップしているようです。
ですが、そんな中に今でも昔と変わらないラインナップを見付けると、なんとなくホッとすると言うか、なんだかほんのり懐かしいような気分になってしまいます。昔と同じデザインの消しゴム、鉛筆などなど、気付いて見てみると以外とあるものです。良いものは、どんなに時代が流れても変わらず続いて行くものなのでしょうね。残すべきものは残し、改めるべきものは改めるというところでしょうか。

PCが起動するまでに…

私の趣味の一つに、インターネットがあります。夜、時間が空いた時にはたいていスイッチをオンにしています。ところが、このパソコンが3年ちょっと使用しているためか、起動が遅くなってきました。使用しているのに問題はありませんが、ちょっと待ち時間があるところが気になります。
特に急ぐときはありませんから、起動させたら何か他の用事を行うようにしているのですが…。冬場、寒いときにはパソコンをコタツの上にあげているので、足元が寒いままに移動したりするのは億劫になってしまいました。
そこで、寒さを感じるときには、暖をとりつつ軌道を待つことにします。私が主に行っていることは、携帯電話のメールチェックと読書です。隙間時間にはピッタリの作業ではないでしょうか。
携帯電話のメールは常にチェックしているのですが、見ただけで返信していないものも意外と多いものです。チェック漏れも合せて防ぐことができます。
読書は、10分にも満たない些細な時間ですが小説、漫画ともにちょっと拾い読みするスタイルもまたあまり力を入れない読書スタイルで好きです。ほぼ毎日のことですから、「チリも積もれば…」の原理で、いつのまにか読み終わってしまうこともあります。なかなか起動しないパソコンにイライラすることなく、逆に時間を上手に使う良い機会だと思うようにしているのです。

年賀状

私には、年末年始の密かな楽しみがあります。それは長期休暇に入ることでも、お正月特番を観ることでも、グータラ食っちゃ寝をすることでもありません。久しぶりの親戚に会うことでもないし、年末セールや初売りに行くことでもありません。私の密かな楽しみ、それはズバリ「年賀状」です。
小さい頃から交換日記や文通に親しんできた私ですが、今はなんでもメールのやり取りですんでしまいますし、テレビカメラで相手の顔を見ながら話すことだって可能な世の中です。手紙のやり取りなどする必要が無くなってしまったように思います。
そんな時代でも、年末年始のご挨拶としての年賀状のやり取りは今でも多くの人たちにとってメジャーな行事として続いています。これは喜ばしいことですし、出来ることならこの先もずっと廃れないで続いていって欲しいと思っています。
私は文字を書くこと自体が好きなので、年賀状の宛名は筆ペンでゆっくり書きます。それがとても楽しいので、毎年年賀状を書く時期が近付いてくると良い意味でソワソワしてくるのです。
また、年に1回この年賀状のやり取りしかすることが無いというような付き合いの知人も多くいますので、 そんな人たちの近況を知ることができるというのも私が年賀状が好きな理由のひとつです。
どんなに時代が進んで便利になっていったとしても、残すべきものはきちんと残していかなければならないのではないでしょうか。

リサイクルショップ

リサイクルショップを上手に活用するということは、節約への第一歩とも言えるのではないでしょうか。というのも、先日、友人がリサイクルショップにてスポーツ用品を格安で手に入れてきたからです。普段はそんなにリサイクルショップを利用するということはなく、節約とは言いながらもなかなか意識することが出来ない私ですが、もう少し上手にお金を使うということも必要なのではないだろうか、と考え直すきっかけになりました。
そんな私ですが、本を購入するときは古本屋さんを利用することが多いです。今の古本屋さんには状態の良い本がたくさん揃ってあり、時には新刊を見付けることも出来るのです。豊富な種類の中から自分の好きな作家さんの作品を大人買いするのも良し、低価格の良本をここで新たに発掘するも良しです。
このように、リサイクルショップを上手に活用していくことでお財布の紐を締めるのはもちろんですが、普段手に取らないようなものや掘り出し物に出会うことも出来るという利点がありますね。ゆっくり時間をかけて探すことで、とても魅力的なものを見付けることが出来るかもしれません。
リサイクル用品でまかなえるものなのかどうかというところの判断さえしっかり出来れば、中古品で十分済ませることが出来るということですね。

アルバム効果

時々、小さい頃のアルバムを開いてみることがあります。少し煤けたような雰囲気の写真と、その中に留まっている自分自身の姿が、時の流れというものを如実に物語っています。当たり前のことではありますが、両親の若い頃の姿を見るととても不思議な気持ちになってしまいますね。年齢でいうと、今の自分と変わらないほどの若さであるはずなのに、やはり父は父で母は母なのです。
ところどころに一言ずつ添えてあり、「○○をした時」、「○○ちゃんと一緒に」などと書いてあり、その写真を撮ったときの両親の気持ちがスッと伝わってくるようです。どれだけ自分が愛され大切にされてきたかが分かります。
こうしてアルバムに写真を残しておいてもらえると、自分がどれ程の人に囲まれながら育ってきたかということを振り返る良いきっかけになると思います。今はもう居ないあの人やこの子の姿を見ると、その生き生きとした声が蘇ってくるようです。
その時その時の瞬間的な感動や驚きというものは、どうしても時の流れと共に記憶の奥へ奥へと追いやられてしまいます。日々の生活に追われればなおさらです。
ですが、そういう余裕がないとき、少しだけ疲れてしまったとき、古いアルバムをめくることはサプリメント効果に似たようなものがあるように思います。

普通の日常

もし、何かひとつ願い事が叶うとしたら何をお願いするか。このやり取り、友人同士でやったことがある人も多いのではないでしょうか。小説やテレビの中では色々なミラクルが起こり、それがなければ先に進まない!というようなこともあるのですが、現実にはそのようなことはまず滅多に起こりません。日々のリアルを精一杯生きることでさえ一苦労なのに、有り得ない想像をしてなんの意味があるのか。時にはそんなやさぐれた考え方をしてしまうこともあります。
ドラマのような出来事や、小説の中で巻き起こる珍事にもし実際に自分がぶち当たったとしたら、果たして対応出来るのかと聞かれたらとても微妙です。何事も起こらない淡々とした日々を粛々と過ごしていけるということが、実はこの上なく幸せで贅沢なことだということを、私たちはついつい忘れてしまいがちです。
そういったささやかな日常の中に居てさえも、小さなことで喜んだり悲しんだり、こんな問題乗り越えることなんて出来ないと諦めたりしてしまうのですから、例えばもし今目の前に隕石が落ちて来たら、怪獣や神様が現れたら…どうなってしまうのでしょうね。
今ある現実をまず本気で生きていくこと。そこが何よりも大切なことで、非日常的なスパイスは小説や映画から補給していきたいと思います。

動物と人間

盲導犬や聴導犬の存在、アニマルセラピーという活動などなど、動物はいつの時代も私たち人間に寄り添い、時に導いてくれています。動物の持つ癒し効果たるや絶大で、猫を撫でると血圧が安定するという話も聞かれます。
そのような動物の本もたくさん出版されており、時々利用する町の図書館にも、動物の実話を元にした本がたくさんあります。先日、その中から一冊を借りて読んでみました。
保健所に収容され、いわゆる殺処分を待っている状況の犬や猫たちの中で、ほんの一握りかもしれませんが奇跡的に新しい飼い主と出会い、殺処分を免れるというケースがあるようです。中には人間から虐待を受けたりひどい扱いをされてきた子も多く、保健所から助け出されたとしても再び人間に心を開くことが難しいということも多いのです。
命は平等ではないのだということに、保健所や殺処分という行為により気付かされるのです。売り買いされる命も、捨てられる命も、暖かい場所で穏やかに終わる命も、思えば私たち人間が左右し決定しているというのが今の社会であり、今の現実なのです。
ペットショップで飼うことが悪いのではなく、保健所で殺す人が悪いのではなく、もっと根本的なことを考え直し、人間と動物の共存共栄ということはどういうことなのか。そういうことを考えるきっかけのひとつとして、動物の事を知るために本を読むこと、知識を得ることは大事なのだと思うのです。